正月である。あ。皆様あけましておめでとうございます。
今更ですが。日本人たるもの、一年で一番
なんだか楽しくなってしまう時期である。
なので、多少の出費もいとわない。
「お正月だから」
「縁起もんだから」
の合言葉で万事丸く収まるのである。…そして、通常の生活に戻ってから後悔する。
ま、それはいいとして。
お正月は、日本人らしさ。
というものを感じる時でもある。
ナショナリズムとアイデンティティ…ってやつ。
「日本人で良かった」
と、思う瞬間が多い。ということである。
この、ナショナリズムの高まりは、日本の音楽シーンでも
見て取れる。戦後における欧米音楽の模倣の時代は
(それはそれで、素敵な時代だったのだけれども…)
日本語や、古来からの旋律を大切にした曲を作る
ミュージシャンの登場により、終わりを告げ
逆に世界に日本の曲が飛び出している状況である。
話は変わるけれども、ボクは「君が代」の旋律は
素晴らしいと思う。あの静かに、そして高揚感ある曲の世界は
日本の風土を意識した独特のもので、他に類を見ない。
国歌を変えよう…などと訴えている方々には悪いが
それは「我が身知らず」の意見だと思うのである。…話を元に戻すと、お正月は日本人である事を
意識する時期だな、ということである。
例えば
・おせちを食べているとき
・お雑煮を食べているとき
・こたつでみかんを食べているとき
…食べてばっかりなんだけど。
嗚呼、日本の正月!ビバ!日本の正月!
いや、ま。そんなもんである。
この正月休みに母方の祖母の家にヨメと遊びに行った。
ボクとヨメには「おじいさん・おばあさん」と呼べる人は
もうこのうちの母方の祖母しかいないので、こういった
長期の休みの時にしか逢えない遠いところにいる祖母の家
(5県・2府をまたいだところにある)に行くという計画は、
夫婦共々以前から楽しみにしていた。
ヨメは結婚したときに挨拶に行った以来だから、二度目
なのだけれども、なぜかボクよりもとても楽しみにしていた。
なにがって、この祖母の家…
びっくりするくらいの
田舎。
もの凄い山奥に住んでおり、隣の家まで500mは歩かないと
イケナイくらいの超・田舎生活なのである。
もちろん携帯の電波など届きようもない。
都会育ちのヨメからすると、この生活はとても新鮮に
映るようで、なんなら夏休みのキャンプ気分である…。
ボクは…といえば、小学生の夏休みに登校日無視で
みっちりこの田舎で生活した事もあり、懐かしいような
その不便さがフィードバックするような、そんな気分であった。
祖父がまだ健在だった事もあり、この夏休みにいつの間にやら
巨人ファンだったボクは、広島カープのファンに
させられた思い出がある…。
ま、でも広島市民球場で見た、生の津田の球は
メチャクチャ速かったからいいとしよう…。とにかく、ま〜…とにかく
田舎なのだ。
この祖母は、とても元気な人でお酒がめっぽう強く、
ビールや焼酎を水のように飲んでしまう。
亡くなったじいさまや、曾爺さんなども強かった。
じいさまの死因が肝臓がんだった。というのも納得である。
結婚した時に挨拶に行った5年前などは
「めでたい、めでたい」を連呼して、一晩で日本酒を何本も
空けた記憶がある。
…いや、正確にはボクは記憶をなくしたのだけど。
とにかく酒は強いし、馬力はあるし、元気なイメージが強いばあさんだ。
そんな元気な祖母を訪ねたわけだけれども
…今回はさすがに年老いていた。
そういやもう80過ぎの立派なおばあちゃんだもの。
さすがにおばあちゃんらしい、おばあちゃんになっていたので
少しばかりショックを受けてしまった。
でもまあ、そのちょっと老けてしまった祖母であるが
酒豪には変わりなく、早速年越しの飲み会になったわけである。
さすが。
そんなわけで…こたつに入って、持参した鯖寿司を食べつつ
一緒にジャニーズのカウントダウンコンサートを見て(笑)
年を越したところで、祖母がゴソゴソとなにやら出してきた。
…お年玉。
いや、ボクらもう30超えてるんですけど…(笑)
…なんて押し問答しつつも「孫にお年玉をやって何が悪い」
のひと言で、しっかりとこの歳でお年玉を頂いてしまった。
「使わずにしっかり持っておいて、ばあちゃんの香典に…」
『ワシより(女性でも一人称はワシ)あんたの方が早いかもしらんよ。』
…なんて軽口を叩きながら、酒の席は進んでいったのである。
そのあと、そのボクの夏休みでの話や、生まれた時の話を
ヨメと楽しそうに話しつつ酒の席もそろそろ終わりとなったとき…
祖母がボクに『なんか歌え』と。
さきほども言ったとおり、お隣まで500m以上の山の中だから
どんなにボコスカ音をならしても近所迷惑にはならない。
そのつもりで、アコギを持ってきたのを見た祖母のリクエストだ。
…でも、これは困った。
祖母は、歌を歌うのがとても好きで(ウマくはないけど)
下界へ(近くのスーパーでもバイクで40分はかかる)
買い物へ行く時など、よくバイクの後ろに乗せられ聞かされた。
ただ、その歌は当時小学生のボクにはさっぱりなんの歌だかわからない
ものばかりで、
「このばあさんとは趣味を分かち合えないな…」と、子供心ながらに思ったものだからである。
もちろん、祖母は洋楽など聴くはずもなく
ボクに演歌のレパートリーなどもない。
だから、あれだ。
この曲を聴くと、この田舎の景色を思い出す。
…という曲を歌ってみた。
THE BOOMの「ジャパネスカ」というアルバムに入っている
”からたち野道”という曲。(リンク先はファンサイト)
この THE BOOM というか、宮沢和史はかなり
ナショナリズムを意識しているミュージシャンの一人でもあり
「日本の情景」というものを曲にした素晴らしい曲がたくさんある。
その中でも、初期の名作でもあるこのアルバムは、いまだ色あせていない。…そんなわけで、酔っぱらいつつも歌ってみた。
で。
ばあさんはいつの間にやら寝ていた(笑)
ちょっとだけすねつつ、ヨメもボクも眠くなってきたので
年越しの酒宴も主役のリタイアで大円団である。
翌日、まったりとした元旦を迎え、おとそ気分で一日を過ごし
ヨメと山の中を散策しつつ、のんびりと過ごした。
本当に何も変わっていない田舎の風景は、昨日の
「からたち野道」の情景、そのまんまである。
すごい大きな蛇がここから出てきて…とか
田舎だから、曾爺さんの火葬は桶樽みたいなので燃やして…とか
ここからずーっと、びわがなって、ここは柿の木で…とか。
古葉監督率いるカープ黄金時代の話とか。
でもさすがに何日もこの田舎にいると飽きるので
2日からは、その頂いたお年玉を使いつつw
ちょっと足を伸ばして温泉宿なんかに行ってみた。
そこでも、ま〜…あ〜だこ〜だとボクの昔の話を
ヨメにべらべら話すのだけれども、遠くに住んでいて
なかなか逢う事が出来ないのだから、何年分もの
話をしてくれたのだろう。
とても、嬉しかった。
さらに、いろいろ話してくれた。
戦争もあった。
実家は原爆でなくなった。
水害で家が全壊したこともあった。
じいさんは、もう15年前に亡くなった。
いろいろと辛い事もあったけれども、
とても強い祖母は
それでもハツラツとしている。
残念ながら、ひ孫を見せる事は出来なかったけれど
また、遊びにくる事を約束して帰路についた。
帰り道にもう一度「からたち野道」を歌いながら帰った。
日本に生まれてよかったな。と思った。
ばあさんの孫でよかったな。と思った。
そんなお正月でした。
「からたち野道」のつづきを読む。